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***ブランドヒストリー [#ycc1a1ce] JIL SANDERとはドイツを拠点とする[[ファッション]][[ブランド]]。日本では「オンワード樫山」がライセンスを持ち展開している。 ジル・サンダーはドイツに生まれ、ハンブルグの高校を卒業後、テキスタイルとデザインを学んだあとアメリカに留学。カルフォルニア大学に2年間在籍し、ニューヨークでファッションジャーナリストとして、雑誌社に勤務 。1965年、ドイツに帰国後、ファッションジャーナリストを経て、1968年に25歳で初めて婦人服をデザインし、ハンブルグの「ミルク通り」にあった古いランプ屋を改装し、画廊のような白塗りの空間にミニマリズム感覚の服を並べたショップをオープン。1973年、レディスコレクションを発表。1987年にミラノ・コレクションにデビューし、 1993年には、パリのモンテニューにブティックをオープン。1997秋冬、ミラノ・メンズコレクションで初のメンズコレクションに参加。 自らを彫刻家のようだと語るジルは、厳しくセレクトした素材を身体にのせ、無駄を削ぎ落としたピュアなフォルムが特徴。「デザイン・ウィズアウト・デコレーション」という理念のままに、色使いも抑制しながら、素材使いと仕立てのよさは最高レベルのハンドテーラリングによって仕立てられている。1999年、2月20日青山に旗艦店オープン、これを機にジル・サンダー本人も来日した。 99年8月プラダによる買収を発表。当初、ジル・サンダーは会長として残り、デザインとスタイリングの責任者をそのまま続けることが決まっていたが、方針の違いからジル・サンダー本人の辞任が決定。2000秋冬コレクションが最後となった。2001春夏はプラダのデザインチームによって発表されたが、2001秋冬からは人気セレクトショップ「コレット」のバイヤーだった、ミラン・ヴクロヴィッチがデザインを担当。 しかし、2003年5月、3年間の離別を経て、ジル・サンダーはかつて自らが作り上げたジル・サンダーAGのヘッドへ復帰すると発表された。また、それだけでなくジル・サンダー社を所有する親会社のプラダ・ホールディングN.V.の戦略委員会の委員も務める。ジルは「ジル・サンダー」[[ブランド]]の新製品から広告、小売りまで、すべての管理を行い、プラダグループのCEO、パトリツィオ・ベルテッリは「[[ブランド]]自体が彼女と一体化する」とコメントした。2003年6月、復帰後初のコレクションとなった2004春夏ミラノメンズコレクションでは時間がなかったためか、十数点だけをプレゼンテーション。軽い素材とシンプルな[[シルエット]]でミニマリズムが戻ったと、好評を得た。 2004年11月、プラダ・グループは、「戦略および金融計画での異なる見解によりジル・サンダーが会社を去った」と発表。バッグなどの[[アクセサリー]]販売を増やして利益を上げる方針だったが、この辺りを巡って対立があったという。プラダグループのスポークスマンは、「コレクションは(前回の辞任時と同様に)現在の会社内によるデザインチームが引き継ぐだろう」と語った。 2005年5月、プラダ・グループとジル・サンダーは7月1日から、ベルギー人デザイナー、ラフ・シモンズ(Raf Simons)がクリエイティブディレクターを引き継ぐと発表した。ラフ・シモンズはレディス、メンズ両方のコレクションを手がけ、ファーストコレクションは、2006年2月ミラノでの2006秋冬コレクションで発表。「ジル・サンダーのようなピュアでクリーンな[[ブランド]]で働くことができて、とてもうれしく思います。私の[[ブランド]]とジル・サンダーには多くの類似点があり、私はこれからもジル・サンダーに象徴されるシンプルで清純なデザインを続けたいと思います」とシモンズ。ジル・サンダー社のCEO、ジャン・ジャコモ・フェラーリ(Gian Giacomo Ferraris)は「ラフ・シモンズと仕事をすることは、ジル・サンダー・[[ブランド]]の強い連続性を保証するでしょう」と語った。ラフ・シモンズは1968年、ベルギーのNeerpeltに生まれ、家具デザイナーとしてデビュー。1995年に自分の[[ブランド]]を開始し、ミラノで1シーズン発表した後、パリに移動。2000年にはウィーン大学応用美術の教授に就任。2003年にはスイス・テキスタイル・アワードを受賞している。 2006年2月、プラダはジル・サンダーをロンドンの投資会社Change Capital Partnersに売却することで合意したと発表した。売却金額などは明らかにされていない。「私たちが、プラダとミュウミュウに注力すると共に、ジル・サンダーのビジネスを育てるために、Change Capital Partnersが必要な資金を提供するでしょう」とプラダのパトリッツオ・ベルテッリ。Change Capital Partnersはマークス・アンド・スペンサーで会長を務めたLuc Vandeveldeの投資会社。Change Capital Partnersのマネージング・ディレクター、Stephan Lobmeyrは「ジル・サンダーの創造的な才能と専門知識を自らのブランドと小売経営、投資経験と組み合わせることを望んだ」とコメント。 2008年9月、日本のオンワードは取締役会において、ジル・サンダーの親会社であるロンドンのプライベートファンド、Change Capital PartnersからJil Sander AGの持株会社であるVioline S.a r.l.の全株式を取得することを決議した。取得総額は1億6700万ユーロ。これにより、ジル・サンダーはオンワードグループの一員として展開されることとなる。 2010年春からはIRIS S.p.Aとライセンス契約を結び、シューズ・コレクションを開始。IRISは、ジル・サンダーのメンズとレディスのシューズを製造・販売するグローバルなライセンス権を取得した。クリエイティブディレクターのラフ・シモンズはコレクションを監督する。コレクションはジル・サンダーのショールームとIrisを通してミラノ、パリ、ニューヨーク、東京で発売される。 2011年春、ジル・サンダーのコレクションよりも低価格で、よりリラックス、スポーティな新ライン「Jil Sander Navy」を開始。ラフ・シモンズがメインコレクションと同様に「ネイビー」でもクリエイティブディレクターを務める。「私は、その境界を押し広げ、ハウスの魅力を強化するために新しい要素を導入して、ジル・サンダー・ブランドを開き続けます」とラフ・シモンズ。「(新ラインは)私たちがより多くの顧客に接触し、ジル・サンダー・ビジネスを拡大する戦略の第一歩です。市場ニーズをつかむだけでなく、プレコレクションとランウェイショーも提供されます」とジル・サンダーのCEO、Alessandro Cremonesi。新ラインの価格はメインラインよりも40パーセントほど安くなる。 ラフ・シモンズは2012秋冬コレクションを最後にジル・サンダーのクリエイティブディレクターを辞任。後任のクリエイティブ・ディレクターにはジル・サンダー本人が復帰した。声明でサンダーは[[ブランド]]を離れていた期間を「短い旅行」と表現し、「パラダイムは変わり、季節ごとに進化しますが、[[ブランド]]の本質は変わりません」とコメント。「ジル・サンダーの情熱とビジョン、強さは我が社の将来にとって極めて貴重な力です」とジル・サンダー社のCEO、Alessandro Cremonesi。サンダーによる最初のコレクションは、2012年6月の2013年春夏メンズコレクションとなる。 **あなたにおすすめ関連記事 [#q72e789f] #htmlinsert(googlecontents.html) ---- 出典: ファッション用語辞典『apparel-fashion wiki(アパレルファッション・ウィキ)』 CENTER:[[SHOP・BRANDページへ戻る>SHOP・BRAND]] [[TOP PAGEへ戻る>TOP PAGE]]
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***ブランドヒストリー [#ycc1a1ce] JIL SANDERとはドイツを拠点とする[[ファッション]][[ブランド]]。日本では「オンワード樫山」がライセンスを持ち展開している。 ジル・サンダーはドイツに生まれ、ハンブルグの高校を卒業後、テキスタイルとデザインを学んだあとアメリカに留学。カルフォルニア大学に2年間在籍し、ニューヨークでファッションジャーナリストとして、雑誌社に勤務 。1965年、ドイツに帰国後、ファッションジャーナリストを経て、1968年に25歳で初めて婦人服をデザインし、ハンブルグの「ミルク通り」にあった古いランプ屋を改装し、画廊のような白塗りの空間にミニマリズム感覚の服を並べたショップをオープン。1973年、レディスコレクションを発表。1987年にミラノ・コレクションにデビューし、 1993年には、パリのモンテニューにブティックをオープン。1997秋冬、ミラノ・メンズコレクションで初のメンズコレクションに参加。 自らを彫刻家のようだと語るジルは、厳しくセレクトした素材を身体にのせ、無駄を削ぎ落としたピュアなフォルムが特徴。「デザイン・ウィズアウト・デコレーション」という理念のままに、色使いも抑制しながら、素材使いと仕立てのよさは最高レベルのハンドテーラリングによって仕立てられている。1999年、2月20日青山に旗艦店オープン、これを機にジル・サンダー本人も来日した。 99年8月プラダによる買収を発表。当初、ジル・サンダーは会長として残り、デザインとスタイリングの責任者をそのまま続けることが決まっていたが、方針の違いからジル・サンダー本人の辞任が決定。2000秋冬コレクションが最後となった。2001春夏はプラダのデザインチームによって発表されたが、2001秋冬からは人気セレクトショップ「コレット」のバイヤーだった、ミラン・ヴクロヴィッチがデザインを担当。 しかし、2003年5月、3年間の離別を経て、ジル・サンダーはかつて自らが作り上げたジル・サンダーAGのヘッドへ復帰すると発表された。また、それだけでなくジル・サンダー社を所有する親会社のプラダ・ホールディングN.V.の戦略委員会の委員も務める。ジルは「ジル・サンダー」[[ブランド]]の新製品から広告、小売りまで、すべての管理を行い、プラダグループのCEO、パトリツィオ・ベルテッリは「[[ブランド]]自体が彼女と一体化する」とコメントした。2003年6月、復帰後初のコレクションとなった2004春夏ミラノメンズコレクションでは時間がなかったためか、十数点だけをプレゼンテーション。軽い素材とシンプルな[[シルエット]]でミニマリズムが戻ったと、好評を得た。 2004年11月、プラダ・グループは、「戦略および金融計画での異なる見解によりジル・サンダーが会社を去った」と発表。バッグなどの[[アクセサリー]]販売を増やして利益を上げる方針だったが、この辺りを巡って対立があったという。プラダグループのスポークスマンは、「コレクションは(前回の辞任時と同様に)現在の会社内によるデザインチームが引き継ぐだろう」と語った。 2005年5月、プラダ・グループとジル・サンダーは7月1日から、ベルギー人デザイナー、ラフ・シモンズ(Raf Simons)がクリエイティブディレクターを引き継ぐと発表した。ラフ・シモンズはレディス、メンズ両方のコレクションを手がけ、ファーストコレクションは、2006年2月ミラノでの2006秋冬コレクションで発表。「ジル・サンダーのようなピュアでクリーンな[[ブランド]]で働くことができて、とてもうれしく思います。私の[[ブランド]]とジル・サンダーには多くの類似点があり、私はこれからもジル・サンダーに象徴されるシンプルで清純なデザインを続けたいと思います」とシモンズ。ジル・サンダー社のCEO、ジャン・ジャコモ・フェラーリ(Gian Giacomo Ferraris)は「ラフ・シモンズと仕事をすることは、ジル・サンダー・[[ブランド]]の強い連続性を保証するでしょう」と語った。ラフ・シモンズは1968年、ベルギーのNeerpeltに生まれ、家具デザイナーとしてデビュー。1995年に自分の[[ブランド]]を開始し、ミラノで1シーズン発表した後、パリに移動。2000年にはウィーン大学応用美術の教授に就任。2003年にはスイス・テキスタイル・アワードを受賞している。 2006年2月、プラダはジル・サンダーをロンドンの投資会社Change Capital Partnersに売却することで合意したと発表した。売却金額などは明らかにされていない。「私たちが、プラダとミュウミュウに注力すると共に、ジル・サンダーのビジネスを育てるために、Change Capital Partnersが必要な資金を提供するでしょう」とプラダのパトリッツオ・ベルテッリ。Change Capital Partnersはマークス・アンド・スペンサーで会長を務めたLuc Vandeveldeの投資会社。Change Capital Partnersのマネージング・ディレクター、Stephan Lobmeyrは「ジル・サンダーの創造的な才能と専門知識を自らのブランドと小売経営、投資経験と組み合わせることを望んだ」とコメント。 2008年9月、日本のオンワードは取締役会において、ジル・サンダーの親会社であるロンドンのプライベートファンド、Change Capital PartnersからJil Sander AGの持株会社であるVioline S.a r.l.の全株式を取得することを決議した。取得総額は1億6700万ユーロ。これにより、ジル・サンダーはオンワードグループの一員として展開されることとなる。 2010年春からはIRIS S.p.Aとライセンス契約を結び、シューズ・コレクションを開始。IRISは、ジル・サンダーのメンズとレディスのシューズを製造・販売するグローバルなライセンス権を取得した。クリエイティブディレクターのラフ・シモンズはコレクションを監督する。コレクションはジル・サンダーのショールームとIrisを通してミラノ、パリ、ニューヨーク、東京で発売される。 2011年春、ジル・サンダーのコレクションよりも低価格で、よりリラックス、スポーティな新ライン「Jil Sander Navy」を開始。ラフ・シモンズがメインコレクションと同様に「ネイビー」でもクリエイティブディレクターを務める。「私は、その境界を押し広げ、ハウスの魅力を強化するために新しい要素を導入して、ジル・サンダー・ブランドを開き続けます」とラフ・シモンズ。「(新ラインは)私たちがより多くの顧客に接触し、ジル・サンダー・ビジネスを拡大する戦略の第一歩です。市場ニーズをつかむだけでなく、プレコレクションとランウェイショーも提供されます」とジル・サンダーのCEO、Alessandro Cremonesi。新ラインの価格はメインラインよりも40パーセントほど安くなる。 ラフ・シモンズは2012秋冬コレクションを最後にジル・サンダーのクリエイティブディレクターを辞任。後任のクリエイティブ・ディレクターにはジル・サンダー本人が復帰した。声明でサンダーは[[ブランド]]を離れていた期間を「短い旅行」と表現し、「パラダイムは変わり、季節ごとに進化しますが、[[ブランド]]の本質は変わりません」とコメント。「ジル・サンダーの情熱とビジョン、強さは我が社の将来にとって極めて貴重な力です」とジル・サンダー社のCEO、Alessandro Cremonesi。サンダーによる最初のコレクションは、2012年6月の2013年春夏メンズコレクションとなる。 **あなたにおすすめ関連記事 [#q72e789f] #htmlinsert(googlecontents.html) ---- 出典: ファッション用語辞典『apparel-fashion wiki(アパレルファッション・ウィキ)』 CENTER:[[SHOP・BRANDページへ戻る>SHOP・BRAND]] [[TOP PAGEへ戻る>TOP PAGE]]
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