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***ブランドヒストリー [#ycc1a1ce] HERMESとはフランスのラグジュアリー[[ブランド]]。エルメスの創業者である、初代ティエリ・エルメスは1801年、現在のドイツ・クレフェルドに生まれる。当時クレフェルドはナポレオンによってフランス領になっており、ティエリもフランス国籍を所有していた。ティエリは13歳でパリに出て、1837年、36歳の時にパリのバス・デュ・ランバール通りにアトリエをオープン。1878年1月、初代ティエリ死去。1880年、二代目シャルル・エミール・エルメスが現在地、フォーブル・サントノーレ24番地に移転。製造・卸から直接顧客に販売を開始するとともに、鞍の製造を開始。それまでのエルメスは馬具の生産を請け負ういわば、下請け業だった。 1892年、ケリーバッグの原型、「オークロア」完成。当初は鞍を入れるかばんとして使用された。「クロア」はフランス語で「ベルト」のことで、ふたの部分をベルトで締める構造による。 1900年、後に3代目となるエミール・モーリス・エルメスは、当時30歳でヨーロッパの王侯貴族に加えロシア皇帝ニコライ2世への馬具とかばんの売込みに成功。1902年、父から事業を受け継いだエミールと兄のアドルフは商号を「エルメス兄弟社」に改める。1903年、エミールは事業の多角化に乗り出し、札入れ、婦人用財布、バッグの製造を開始。1920年、[[ファスナー]]を初めてバッグや衣服に用いる。後にシャネルは[[スカート]]にこの[[ファスナー]]を使い、これが契機となって衣服に[[ファスナー]]が使われるようになった。1922年、エミールは兄から会社の全所有権を買い取り、社名を「エルメス」に戻す。 1927年時計を発売。1928年、ムートン[[手袋]]発売。衣服、旅行用品、時計、宝飾品などを事業に取り入れ、二人の婿、ロベール・デュマとジャン・ゲランにより、フランス中に支店を拡大。1936年香水発売。1937年、[[スカーフ]]の発売開始。ちなみに第1号の[[スカーフ]]は「オムニバスゲームと白い貴婦人」。1945年、現在の商標でもある、あの有名な「4輪馬車と従者」を登録。馬車の種類は「デュック」と呼ばれるもので、「エルメスは最高の品物を用意しますが、それを御するのはお客様自身」ということを意味している。 1947年、ジャン・ゲラン香水部門設立。1949年、紳士バッグ「サック・ア・デペッシュ」、シルクツイルのネクタイ発売。1951年、エミール死去。最初の婿である(エミールの次女、ジャクリーヌの婿)ロベール・デュマ・エルメス4代目社長に就任。ロベールは[[スカーフ]]に力を注ぎ、「カレ(正方形)」と名づけられた「カレ・エルメス」には一枚一枚にストーリーが存在し、それが個性と芸術性を与えている。また、戦後までエルメスの包装紙は薄い[[ベージュ]]だったが、物不足により残っていたオレンジの色の紙を使わざるを得なくなり、戦後もその印象からジャン・ゲランがオレンジを継続させたという。これが、「オレンジ・ボックス」と呼ばれるエルメスの包装箱につながる。また、贈呈用のリボンには毎年、年号とその年のテーマが書き込まれ、それとは別にクリスマス用の特別リボンも存在し、リボンだけでもコレクターが存在するほどの[[アイテム]]となっている。 1956年、ビーチタオル発売。また、この年から女優でモナコ王妃となったグレース・ケリー(Grace Kelly)がエルメス定番のバッグ「サック・ア・クロア」を愛用していたことから、結婚前の「ケリー(Kelly)」の名前が付けられる。1957年シルバーカフス「エトリエ」発売。1961年香水部門独立、「カレーシュ」発売。「カレーシュ」はエンブレムの四輪馬車にちなみ、「最も優雅で美しい馬車」から命名された。その後「アマゾン」、「オー・トランジュベルト」、「パルファム・ドル・エルメス」、「ヴァンキャトル・ファーブル」が女性用、メンズでは1970年の「エキパージュ」、「ベラミ」などがある。1973年、ジョン・ロブシューズ部門をエルメス店内に移設。1974年、「カレーシュ」より若い女性向けの香水「アマゾン」発売。1978年、ロベール・デュマ・エルメスの息子ジャンルイ・デュマ5代目に就任。1979年、時計「アルソー」発売。エルメス時計社を設立し、時計部門に正式に参入。1984年、テーブルウェア部門に進出。 1984年、「バーキン(Birkin)」誕生。フランスの映画女優、ジェーン・バーキン(Jane Birkin)が小さい旅行かばんが欲しかったことから、自らデザイン画を描き、エルメスにオーダーメードで発注。以後、彼女がそのかばんをいつも持ち歩いていたことから有名になり、彼女の名前を付けて商品化した。ジェーン・バーキンが所有しているのは底辺が40センチのモデルだが、他に35センチと30センチのモデルがある。 1987年、カーボンファイバー製アタッシュケース「エスパス」発売。87年からは毎年、その年のテーマが決められており、最初のテーマは「花火」。2002年のテーマは、「手」、2003年は「地中海」。2004年は「ファンタジー」。2005年は「川」。デュマによれば「エルメスとは[[ブランド]]ではなく、カルチャーとともに生きるメゾンである」。 1997年5月、ジャンルイ・デュマは、デザイン部門を統括していたクロード・ブルエの引退を機に、前衛的なデザイナーとして知られていたマルタン・マルジェラを主任デザイナーに起用した。 マルタン・マルジェラは1957年ベルギーに生れる。アントワープ国立学校を卒業後、ジャンポール・ゴルチェの下で修行を積み、89年春夏パリ・コレクションにデビュー。病院や駅でコレクションを行い、そこでボロ布を用いた衣装を発表したり、モデルを使わずに操り人形に衣装を着せたコレクションなどを発表し、注目を集めていた。絶え間なく新しいものを生み出すファッション・システムに異議申立てを行い、古着の再生や新しい服の古着風加工など、独自の視点からの服作りを行う。川久保玲や山本耀司など80年代の日本人デザイナーの影響を受けつつ、独自の[[アバンギャルド]]な路線を歩む。自身のメゾンのデザインを展開する一方で、98年から「エルメス」のデザインを担当。2000年9月に世界初となる路面店を恵比寿にオープンした。 日本へは83年に進出し、日本法人エルメス・ジャポンは、西武百貨店との合弁企業。西武百貨店の持ち株比率は10%。2001年6月28日、銀座にエルメスジャポン本社社屋「メゾン エルメス」オープン。2003年5月、六本木ヒルズ「森アーツセンター」で「地中海を巡る想い」展開催。イタリアの芸術家集団「スタジオ・アッズーロ」が、約2年にわたり地中海沿岸を旅して作品を作り上げた。2004年2月、丸の内店が移転リニューアル。 エルメスの洋服部門は1920年に乗馬服やスポーツウェアを展開したことに始まる。その後、第2次世界大戦後[[オートクチュール]]に進出。66年から[[プレタポルテ]]を開始している。デザイナーにもクリスチャン・ラクロアやエリック・ベルジュールなど、若手デザイナーを登用してきた。レディスが2004年秋冬からジャン・ポール・ゴルチエ起用がされている。噂ではエルメスは、2002年の段階ではジル・サンダーにも声をかけていたとの話がある。しかし、2003年のオスカーファッションのトップといわれているのが、ゴルチェを着たニコール・キッドマンだったこともあり、こうしたセレブの支持をゴルチェを起用することで、エルメスも得たいという考えがあったらしい。 紳士プレタポルテは20年代にエルメス中興の礎となった米国から特許を買い付けた[[ジッパー]]をつけた革の[[ブルゾン]]を発表して以来、靴や[[帽子]]、[[スーツ]]まで幅広く展開。 2009年、エルメスとライカはエルメス・カーフレザーとシルバークロムに覆われた200個限定のフィルムカメラ「Leica M7 Edition Hermes」を製作。色は茶とエルメス・オレンジの2色で、各色100個限定。1-200のシリアルナンバー入り。カメラは12月中旬に9500ユーロで発売される。両社は2003年にもコラボレートし、「Leica MP Edition Hermes」を発売している。 2010年5月、エルメスはジャン・ポール・ゴルチエがレディス・デザイナーを辞任したと発表した。2010年10月に披露される2011年春夏コレクションがエルメスのためにゴルチエが作成する最後のコレクションとなる。ラコステのクリエイティブディレクターだったクリストフ・ルメール(Christophe Lamaire)がゴルチエの後任として、2011年秋冬コレクションからエルメスのレディス・プレタポルテのアーティスティック・ディレクターに就任する。ただし、エルメスはゴルチエ株の45%を所有しており、今後も株主であり続ける。 2010年7月、「J'aime mon carre(私はスカーフを愛しています)」キャンペーンを開始。エルメスはこのプロジェクトのために英国の写真家Matt IrwinとスタイリストのFrancesca Burnsを起用。特別サイトjaimemoncarre.comを作成し、[[スカーフ]]に関連するイベントの情報発信や[[スカーフ]]の着用方法を提供する。 2011年4月、Salone Internazionale del Mobile(ミラノサローネ国際家具見本市)で広範囲にわたる最初のホームコレクションを披露。国際的なデザイナー、Enzo Mari、Antonio Citterio、Denis Montel、Eric Benqueらとのコラボレートにより、アーティスティック・ディレクター、Pierre-Alexis Dumasはコンテンポラリーな家具ラインを導入する。アイテムは2011年秋から一部のエルメスブティックで販売。さらにエルメスはイタリアのテキスタイル・プロデューサー、Dedarとのジョイントベンチャーで5月から壁紙・カーペットなどのホーム・ファブリックコレクションを開始する。 デザイナー レディス・クリストフ・ルメール(Christophe Lamaire) ルメールは、クリスチャン・ラクロワ、ジャン・パトゥ、イヴ・サンローラン、ティエリー・ミュグレーを経て、1991年に自社ブランドを開始。2002年春夏からはケンゾーのデザイナーに就任したロジエの後を継いでラコステのデザイナーに就任。 メンズ・Veronique Nichanian ヴェロニク・ニシャニアン パリ生まれのヴェロニクは、パリ・オートクチュール専門学校を首席で卒業。76年セルッティにメンズコレクションのデザイナーとして入社。88年、エルメスの紳士服部門のディレクターおよびデザイナーに就任。88年、若いクリエイターに贈られるパリ市長賞を受賞。ディテールにこだわり、素材と色の繊細さを大切にするデザインが特徴。トラッドベースの、クリーンでハイクオリティーな大人の服を提案する。 **あなたにおすすめ関連記事 [#c1ea6f85] #htmlinsert(googlecontents.html) ---- 出典: ファッション用語辞典『apparel-fashion wiki(アパレルファッション・ウィキ)』 CENTER:[[SHOP・BRANDページへ戻る>SHOP・BRAND]] [[TOP PAGEへ戻る>TOP PAGE]]
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***ブランドヒストリー [#ycc1a1ce] HERMESとはフランスのラグジュアリー[[ブランド]]。エルメスの創業者である、初代ティエリ・エルメスは1801年、現在のドイツ・クレフェルドに生まれる。当時クレフェルドはナポレオンによってフランス領になっており、ティエリもフランス国籍を所有していた。ティエリは13歳でパリに出て、1837年、36歳の時にパリのバス・デュ・ランバール通りにアトリエをオープン。1878年1月、初代ティエリ死去。1880年、二代目シャルル・エミール・エルメスが現在地、フォーブル・サントノーレ24番地に移転。製造・卸から直接顧客に販売を開始するとともに、鞍の製造を開始。それまでのエルメスは馬具の生産を請け負ういわば、下請け業だった。 1892年、ケリーバッグの原型、「オークロア」完成。当初は鞍を入れるかばんとして使用された。「クロア」はフランス語で「ベルト」のことで、ふたの部分をベルトで締める構造による。 1900年、後に3代目となるエミール・モーリス・エルメスは、当時30歳でヨーロッパの王侯貴族に加えロシア皇帝ニコライ2世への馬具とかばんの売込みに成功。1902年、父から事業を受け継いだエミールと兄のアドルフは商号を「エルメス兄弟社」に改める。1903年、エミールは事業の多角化に乗り出し、札入れ、婦人用財布、バッグの製造を開始。1920年、[[ファスナー]]を初めてバッグや衣服に用いる。後にシャネルは[[スカート]]にこの[[ファスナー]]を使い、これが契機となって衣服に[[ファスナー]]が使われるようになった。1922年、エミールは兄から会社の全所有権を買い取り、社名を「エルメス」に戻す。 1927年時計を発売。1928年、ムートン[[手袋]]発売。衣服、旅行用品、時計、宝飾品などを事業に取り入れ、二人の婿、ロベール・デュマとジャン・ゲランにより、フランス中に支店を拡大。1936年香水発売。1937年、[[スカーフ]]の発売開始。ちなみに第1号の[[スカーフ]]は「オムニバスゲームと白い貴婦人」。1945年、現在の商標でもある、あの有名な「4輪馬車と従者」を登録。馬車の種類は「デュック」と呼ばれるもので、「エルメスは最高の品物を用意しますが、それを御するのはお客様自身」ということを意味している。 1947年、ジャン・ゲラン香水部門設立。1949年、紳士バッグ「サック・ア・デペッシュ」、シルクツイルのネクタイ発売。1951年、エミール死去。最初の婿である(エミールの次女、ジャクリーヌの婿)ロベール・デュマ・エルメス4代目社長に就任。ロベールは[[スカーフ]]に力を注ぎ、「カレ(正方形)」と名づけられた「カレ・エルメス」には一枚一枚にストーリーが存在し、それが個性と芸術性を与えている。また、戦後までエルメスの包装紙は薄い[[ベージュ]]だったが、物不足により残っていたオレンジの色の紙を使わざるを得なくなり、戦後もその印象からジャン・ゲランがオレンジを継続させたという。これが、「オレンジ・ボックス」と呼ばれるエルメスの包装箱につながる。また、贈呈用のリボンには毎年、年号とその年のテーマが書き込まれ、それとは別にクリスマス用の特別リボンも存在し、リボンだけでもコレクターが存在するほどの[[アイテム]]となっている。 1956年、ビーチタオル発売。また、この年から女優でモナコ王妃となったグレース・ケリー(Grace Kelly)がエルメス定番のバッグ「サック・ア・クロア」を愛用していたことから、結婚前の「ケリー(Kelly)」の名前が付けられる。1957年シルバーカフス「エトリエ」発売。1961年香水部門独立、「カレーシュ」発売。「カレーシュ」はエンブレムの四輪馬車にちなみ、「最も優雅で美しい馬車」から命名された。その後「アマゾン」、「オー・トランジュベルト」、「パルファム・ドル・エルメス」、「ヴァンキャトル・ファーブル」が女性用、メンズでは1970年の「エキパージュ」、「ベラミ」などがある。1973年、ジョン・ロブシューズ部門をエルメス店内に移設。1974年、「カレーシュ」より若い女性向けの香水「アマゾン」発売。1978年、ロベール・デュマ・エルメスの息子ジャンルイ・デュマ5代目に就任。1979年、時計「アルソー」発売。エルメス時計社を設立し、時計部門に正式に参入。1984年、テーブルウェア部門に進出。 1984年、「バーキン(Birkin)」誕生。フランスの映画女優、ジェーン・バーキン(Jane Birkin)が小さい旅行かばんが欲しかったことから、自らデザイン画を描き、エルメスにオーダーメードで発注。以後、彼女がそのかばんをいつも持ち歩いていたことから有名になり、彼女の名前を付けて商品化した。ジェーン・バーキンが所有しているのは底辺が40センチのモデルだが、他に35センチと30センチのモデルがある。 1987年、カーボンファイバー製アタッシュケース「エスパス」発売。87年からは毎年、その年のテーマが決められており、最初のテーマは「花火」。2002年のテーマは、「手」、2003年は「地中海」。2004年は「ファンタジー」。2005年は「川」。デュマによれば「エルメスとは[[ブランド]]ではなく、カルチャーとともに生きるメゾンである」。 1997年5月、ジャンルイ・デュマは、デザイン部門を統括していたクロード・ブルエの引退を機に、前衛的なデザイナーとして知られていたマルタン・マルジェラを主任デザイナーに起用した。 マルタン・マルジェラは1957年ベルギーに生れる。アントワープ国立学校を卒業後、ジャンポール・ゴルチェの下で修行を積み、89年春夏パリ・コレクションにデビュー。病院や駅でコレクションを行い、そこでボロ布を用いた衣装を発表したり、モデルを使わずに操り人形に衣装を着せたコレクションなどを発表し、注目を集めていた。絶え間なく新しいものを生み出すファッション・システムに異議申立てを行い、古着の再生や新しい服の古着風加工など、独自の視点からの服作りを行う。川久保玲や山本耀司など80年代の日本人デザイナーの影響を受けつつ、独自の[[アバンギャルド]]な路線を歩む。自身のメゾンのデザインを展開する一方で、98年から「エルメス」のデザインを担当。2000年9月に世界初となる路面店を恵比寿にオープンした。 日本へは83年に進出し、日本法人エルメス・ジャポンは、西武百貨店との合弁企業。西武百貨店の持ち株比率は10%。2001年6月28日、銀座にエルメスジャポン本社社屋「メゾン エルメス」オープン。2003年5月、六本木ヒルズ「森アーツセンター」で「地中海を巡る想い」展開催。イタリアの芸術家集団「スタジオ・アッズーロ」が、約2年にわたり地中海沿岸を旅して作品を作り上げた。2004年2月、丸の内店が移転リニューアル。 エルメスの洋服部門は1920年に乗馬服やスポーツウェアを展開したことに始まる。その後、第2次世界大戦後[[オートクチュール]]に進出。66年から[[プレタポルテ]]を開始している。デザイナーにもクリスチャン・ラクロアやエリック・ベルジュールなど、若手デザイナーを登用してきた。レディスが2004年秋冬からジャン・ポール・ゴルチエ起用がされている。噂ではエルメスは、2002年の段階ではジル・サンダーにも声をかけていたとの話がある。しかし、2003年のオスカーファッションのトップといわれているのが、ゴルチェを着たニコール・キッドマンだったこともあり、こうしたセレブの支持をゴルチェを起用することで、エルメスも得たいという考えがあったらしい。 紳士プレタポルテは20年代にエルメス中興の礎となった米国から特許を買い付けた[[ジッパー]]をつけた革の[[ブルゾン]]を発表して以来、靴や[[帽子]]、[[スーツ]]まで幅広く展開。 2009年、エルメスとライカはエルメス・カーフレザーとシルバークロムに覆われた200個限定のフィルムカメラ「Leica M7 Edition Hermes」を製作。色は茶とエルメス・オレンジの2色で、各色100個限定。1-200のシリアルナンバー入り。カメラは12月中旬に9500ユーロで発売される。両社は2003年にもコラボレートし、「Leica MP Edition Hermes」を発売している。 2010年5月、エルメスはジャン・ポール・ゴルチエがレディス・デザイナーを辞任したと発表した。2010年10月に披露される2011年春夏コレクションがエルメスのためにゴルチエが作成する最後のコレクションとなる。ラコステのクリエイティブディレクターだったクリストフ・ルメール(Christophe Lamaire)がゴルチエの後任として、2011年秋冬コレクションからエルメスのレディス・プレタポルテのアーティスティック・ディレクターに就任する。ただし、エルメスはゴルチエ株の45%を所有しており、今後も株主であり続ける。 2010年7月、「J'aime mon carre(私はスカーフを愛しています)」キャンペーンを開始。エルメスはこのプロジェクトのために英国の写真家Matt IrwinとスタイリストのFrancesca Burnsを起用。特別サイトjaimemoncarre.comを作成し、[[スカーフ]]に関連するイベントの情報発信や[[スカーフ]]の着用方法を提供する。 2011年4月、Salone Internazionale del Mobile(ミラノサローネ国際家具見本市)で広範囲にわたる最初のホームコレクションを披露。国際的なデザイナー、Enzo Mari、Antonio Citterio、Denis Montel、Eric Benqueらとのコラボレートにより、アーティスティック・ディレクター、Pierre-Alexis Dumasはコンテンポラリーな家具ラインを導入する。アイテムは2011年秋から一部のエルメスブティックで販売。さらにエルメスはイタリアのテキスタイル・プロデューサー、Dedarとのジョイントベンチャーで5月から壁紙・カーペットなどのホーム・ファブリックコレクションを開始する。 デザイナー レディス・クリストフ・ルメール(Christophe Lamaire) ルメールは、クリスチャン・ラクロワ、ジャン・パトゥ、イヴ・サンローラン、ティエリー・ミュグレーを経て、1991年に自社ブランドを開始。2002年春夏からはケンゾーのデザイナーに就任したロジエの後を継いでラコステのデザイナーに就任。 メンズ・Veronique Nichanian ヴェロニク・ニシャニアン パリ生まれのヴェロニクは、パリ・オートクチュール専門学校を首席で卒業。76年セルッティにメンズコレクションのデザイナーとして入社。88年、エルメスの紳士服部門のディレクターおよびデザイナーに就任。88年、若いクリエイターに贈られるパリ市長賞を受賞。ディテールにこだわり、素材と色の繊細さを大切にするデザインが特徴。トラッドベースの、クリーンでハイクオリティーな大人の服を提案する。 **あなたにおすすめ関連記事 [#c1ea6f85] #htmlinsert(googlecontents.html) ---- 出典: ファッション用語辞典『apparel-fashion wiki(アパレルファッション・ウィキ)』 CENTER:[[SHOP・BRANDページへ戻る>SHOP・BRAND]] [[TOP PAGEへ戻る>TOP PAGE]]
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