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***ブランドヒストリー [#d7ea0383] ブルガリの創始者ソティリオ・ブルガリは1857年、ギリシャで代々銀細工師の家に生まれる。1879年ローマへ移り、トリニタ・デイ・モンティで銀細工の商いを始める。そして1884年、ローマのヴィアシスティーナに最初の店をオープン。現在では、この店はブルガリ本店として位置づけられている。1905年ヴィア・コンドッティに店舗を移転。1932年 ソティリオ死去。息子のジョルジョとコンスタンティノがヴィア・コンドッティの店舗を改装。ジョルジョは、イタリヤルネッサンスの美術を探求しながら、独特の造形をうみだした。~ 1970年代にはニューヨーク、ジュネーブ、モンテカルロ、パリに出店。1977年には「ブルガリ・ブルガリ」ウォッチが誕生。その後、スイスの時計メーカー、ジラール・ペルゴ社と提携。腕時計の世界に参入するためにスイスにブルガリタイムを設立。ブルガリは1940年代から時計の製作をはじめていたが、正式なコレクションを開始したのはこのときから。1984年、パオロ・ブルガリがグループの会長に、ニコラ・ブルガリが副会長に、2人の甥であるフランチェスコ・トラーパニが27歳で(現、C.E.O.、ブルガリ グループ最高経営責任者)社長に就任。~ 80年代後半には、ミラノ、東京、香港、シンガポール、大阪、ロンドン、ミュンヘン、サンモリッツに出店。ニューヨーク・五番街に北米の旗艦店として2番目の店舗がオープン。1991年新東京店がアジアの旗艦店としてオープン。マドリッドとアスペンにも出店する。~ 90年代にはトラーパニの指揮のもと、香水、磁器を素材にしたジュエリー、アイウェア、スカーフコレクション、レザーコレクション、ホームデザインを次々と発表。まずは、スイスにブルガリ・パルファム社を設立、「オ・パフメ」を発表して香水の世界に進出。1992年「クアドラート」ウォッチを発表。台北、バンコク、デュッセルドルフ、福岡、ロサンゼルス、マイアミ、コルチナに出店。チューリッヒとサンフランシスコにショールームをオープン。~ 1993年にはグリーンティーをベースにした、初の香水「オ・パフメ」オーデコロンを発売。アテネ、ソウル、ドバイ、カンヌ、ラスベガス、チューリッヒに出店。ロンドンのハーべーニコルズ内に2号店をオープン。~ 1994年、香水「ブルガリ」を発売。3月には、ゴールドと磁器を使った新しいジュエリー・ライン「チャンドラ」をパリで発表。この発表会のシーンは映画「プレタポルテ」で見ることができる。4月、自動巻ムーブメントのスポーツウォッチとダイバーズウォッチの新しいスポーツライン、 そして初の「グラン・コンプリカシオン」ウォッチ、 「ミニッツリピーター」、「トゥルビヨン」を発表。クアラルンプール、ヒューストン、コスタ・メサ(カリフォルニア州)に出店。~ 1995年、香水「ブルガリ」と「オ・パフメ」のバスラインを発売。イタリア、米国、そして中東で男性のための香水「ブルガリ・プールオム」を発売。新しいジュエリーライン「チェルタウラ」と「カレイドス」、そしてゴールドとダイヤモンドの新しい高級ジュエリーウォッチ「トリカ」を発表。ジェッダ、大阪高島屋、フィレンツェ、ベルリン、クウェート、シドニー、ジャカルタに新店舗オープン。~ 1996年4月、バーゼルにおいてラットラパンテ クロノグラフウオッチである「グランドコンプリカシオン」、「ブルガリ・ブルガリ」の新モデル、「スポーツ」の新ラインを発表。5月、組紐をモチーフとした「トリカ」ジュエリーラインを発表、「オ・パフメ」の香りの濃縮度を高めたバージョン「エクストレーム」の販売を開始。9月、アイウエアの製造及び販売に関し、ルックスオッティカ社と契約。年末には、ブルガリ初のスカーフコレクション、「アクエレッリ」をイタリアと日本において発表。~ 1997年「XLリング」コレクションを発表。4月には時計「ソロテンポ」を発表。初のアイウエアおよびレザーグッズのコレクションをイタリアと米国で発表。また、母と子のためのフレグランス「プチ ママン」の販売を全世界的に開始。ブルガリとフェラガモによる、香水部門のジョイント・ベンチャー契約が成立。初のスキンケア製品「イドラ・テ・ヴィタリザン」を日本にて先行発表。~ 1998年「XLシリーズ」を発表。4月、スイス・バーゼルフェアにおいてアルミニウムとラバーを使用した「アルミニウム」ウォッチを発表。コストパフォーマンスのよさもあり、若者層を中心に全世界的に大ヒットとなる。~ アイウェアコレクションが全世界的に発売開始。1999年キャデラックのフラッグシップとなるロードスターのインテリアを担当。1999年「B.zero1」ジュエリーシリーズのリング発売。2000-2001年秋冬パリオートクチュールコレクションでカルロ・ポンチをサポート。~ 2000年初のレクタングラーでもあるレッタンゴロ(イタリア語でレクタンギュラー「長方形」を意味する)発売。30年代のイタリアデザインにインスパイアされたこのモデルは、ケースはもちろん、文字盤が大胆にしてモダン。デフォルメされた3と9が強烈なインパクトを与える。10月ニューフレグランス「ブルガリ ブルー」発売。12月、世界に先駆け、日本で初のロゴバッグシリーズ「ロゴマニア」のバッグ&スカーフを発売。ロゴを全面に使い、シンプルでありながら力強い存在感を発揮した。~ 2002年春、象徴的な円形デザインと、サイドにブルガリのダブルロゴあしらった「B.zero1」のバッグ発売。新作時計「B Zero 1」発売。2002年10月、銀座店グランドオープン。限定ウォッチなども発売される。2003年春、ジュエリーの新ライン「アレグラ」シリーズ発売。さまざまな色の半貴石や真珠、ダイヤモンドをカラフルにあしらった、「アレグラ」シリーズと、回転するディスクで視覚効果を狙った「オプティカル」ラインを発売。「アレグラ」シリーズはアメジストやペリドット、トパーズや、シトリンなどの半貴石を使い、ピンクの色味の真珠を使うことで虹のように色を閉じ込めたフルラインアップのシリーズ。「オプティカル」ラインは、らせんをモチーフにしたデザインで、実際に回転する仕掛けになっており、ネックレスとリングのそれぞれ2パターン。2004年4月新作ウォッチ「エルゴン(ergon)」発売。~ 2004年、ブルガリは、マリオット・インターナショナルと提携し、2004年にミラノ、2005年にバリにホテルをオープン。バリでは58のバンガローが付属し、部屋には寝室、図書室、2つの浴室、クローゼット、テラス、プールが備えられる。「ブルガリの別荘」と名づけられた部屋には、3つの寝室に加え、使用人の部屋もある。また、ホテルの敷地内には温泉、プライベートビーチに、2件のレストラン、ブルガリのブティックもオープンする。~ 2007年12月には銀座2丁目交差点の一角にブルガリとしては世界最大の店舗を開き、ビル内に日本法人の本社を移転する予定。店名は「ブルガリ銀座タワー」で地上10階、延べ床面積5761平方メートル。中央通りの三共旧本社ビルを建て替え、1棟借りする。レストランやバー、VIPルーム、ブライダルラウンジも併設するなど多角化し、1-3階がブルガリの売り場(総売り場面積952平方メートル)で、屋上は庭園として顧客に開放する。ブルガリグループのフランチェスコ・トラーパニ(Francesco Trapani)最高経営責任者は「世界で最も重要な市場である日本でさらなる成長を目指します。ブリガリは20年以上前に日本に店を開いて以来、日本との強い関係を誇ることができます。2005年には、日本がグループ売上の26パーセントを占めました。日本人のデザイン、クオリティ、イメージに対する目の厳しさは新製品を売り出す際に、日本が常にブルガリのキー・マーケットであり、これが私たちがここに世界で最大の店を開く理由です」と述べた。~ 2010年2月から開始する新「エキセントリック・カリスマ(Eccentric Charisma)」キャンペーンのモデルにジュリアン・ムーアを起用。撮影はMert AlasとMarcus Piggott。キャンペーンフォトはブルガリのSerpentiコレクションからエメラルドのティアドロップ型イアリングと[[ブレスレット]]をつけて、個室でくつろぐジュリアン・ムーアを表現。ブルガリの新Chandraバッグも訴求されている。ジュリアン・ムーアはブルガリのファンとされており、2009年12月に行われたブルガリの創設125周年記念チャリティ・オークションにもゲストとして参加していた。~ 2011年3月、総額約37億ユーロでLVMHに買収される。LVMHは自社株1650万株と交換にブルガリの1億5250万株、50.4%を取得。さらに、約60%のプレミアムをつけた1株12.25ユーロで残りのブルガリ株も購入する。この結果、ブルガリ・ファミリーはLVMHのグループの中で2番目に大きな同族株主となる。LVMHが58%を獲得した時点で、ミラノでのブルガリの上場は廃止される。PaoloとNicola Bulgariはそれぞれブルガリの会長と副会長を引き続き務める。また、ブルガリは2人の代表をLVMHの取締役会に送り込む権利があり、ブルガリのCEO、フランチェスコ・トラッパーニ(Francesco Trapani)はLVMHの執行委員会に加わり、2011年後半にはLVMHの時計・ジュエリー部門を担当。現在の同部門のトップ、Philippe Pascalは執行委員会に残り、グループ内の新しい部門を担当する。~ 「これは、強い収入成長期だからこそ、ブルガリと同様に私たちの家族にとって重要なステップです。LVMHへ参加することでブルガリがその世界的な成長を強化し、注目すべきシナジーを実現するでしょう。 私は、TAGホイヤー、ショーメ、ゼニス、ウブロ、フレッド、デビアスなど有名ブランドが含まれているLVMHの時計および宝石部門の管理が、私に任せられて非常に光栄だと付け加えたい。ブルガリとこれらの商標は高額セグメントにおける世界のリーダーとなるためにさらに投資し、刷新されるでしょう」とトラッパーニ。~ 「私たちはブランドの優越性、創造性、革新への探究に加え、ルーツとアイデンティティへの敬意という同じ文化を共有するとともに、私のグループとブルガリ・ファミリー間の同盟はすべての視点から見て完璧な組み合わせだと思います。LVMHと同様に、ブルガリの同族株主は会社の管理に直接関与します。彼らは製品の生成からアフターサービスまでビジネスのすべての面を知っており、卓越した企業家です。それは私たちが直ちにお互いを理解した理由であり、私たちがともに働くことに賛成した理由です」とベルナール・アルノー。~ ちなみにBVLGARIという表記は古代アルファベットには「J」、「U」、「W」の3文字が無く、中世まで「J」は「Ⅰ」、「U」は「V」と区別されていなかったことから、あえて当時の表記法に従って表示したもの。ただ、サイト名は「bulgari.com」となっている。~ また、「マリナ・B」のデザイナー、マリナ・ブルガリは、ブルガリの創始者であるソティリオ・ブルガリの孫娘。幼い頃からその才能を見出した父親のコンスタンチノ・ブルガリのもとで創造性と技術を磨き、1979年、父の死を機に独立して、「Marina B」を創立した。~ 世界トップクラスのジュエラーですが、近頃の日本ではウォッチとフレグランスのほうが有名かもしれません。「ブルガリ・ブルー」のヒットは記憶に新しいところです。また、フランク・ミューラー人気による腕時計のスクエア、トノー人気も、ブルガリが「B ZERO 1」を発売したことで丸型に回帰するのではないかとも言われています。いまや、ウォッチにおいてもトレンドをリードする[[ブランド]]である。~ **あなたにおすすめ関連記事 [#gd6e1b1b] #htmlinsert(googlecontents.html) ---- 出典: ファッション用語辞典『apparel-fashion wiki(アパレルファッション・ウィキ)』 CENTER:[[SHOP・BRANDページへ戻る>SHOP・BRAND]] [[TOP PAGEへ戻る>TOP PAGE]]
タイムスタンプを変更しない
***ブランドヒストリー [#d7ea0383] ブルガリの創始者ソティリオ・ブルガリは1857年、ギリシャで代々銀細工師の家に生まれる。1879年ローマへ移り、トリニタ・デイ・モンティで銀細工の商いを始める。そして1884年、ローマのヴィアシスティーナに最初の店をオープン。現在では、この店はブルガリ本店として位置づけられている。1905年ヴィア・コンドッティに店舗を移転。1932年 ソティリオ死去。息子のジョルジョとコンスタンティノがヴィア・コンドッティの店舗を改装。ジョルジョは、イタリヤルネッサンスの美術を探求しながら、独特の造形をうみだした。~ 1970年代にはニューヨーク、ジュネーブ、モンテカルロ、パリに出店。1977年には「ブルガリ・ブルガリ」ウォッチが誕生。その後、スイスの時計メーカー、ジラール・ペルゴ社と提携。腕時計の世界に参入するためにスイスにブルガリタイムを設立。ブルガリは1940年代から時計の製作をはじめていたが、正式なコレクションを開始したのはこのときから。1984年、パオロ・ブルガリがグループの会長に、ニコラ・ブルガリが副会長に、2人の甥であるフランチェスコ・トラーパニが27歳で(現、C.E.O.、ブルガリ グループ最高経営責任者)社長に就任。~ 80年代後半には、ミラノ、東京、香港、シンガポール、大阪、ロンドン、ミュンヘン、サンモリッツに出店。ニューヨーク・五番街に北米の旗艦店として2番目の店舗がオープン。1991年新東京店がアジアの旗艦店としてオープン。マドリッドとアスペンにも出店する。~ 90年代にはトラーパニの指揮のもと、香水、磁器を素材にしたジュエリー、アイウェア、スカーフコレクション、レザーコレクション、ホームデザインを次々と発表。まずは、スイスにブルガリ・パルファム社を設立、「オ・パフメ」を発表して香水の世界に進出。1992年「クアドラート」ウォッチを発表。台北、バンコク、デュッセルドルフ、福岡、ロサンゼルス、マイアミ、コルチナに出店。チューリッヒとサンフランシスコにショールームをオープン。~ 1993年にはグリーンティーをベースにした、初の香水「オ・パフメ」オーデコロンを発売。アテネ、ソウル、ドバイ、カンヌ、ラスベガス、チューリッヒに出店。ロンドンのハーべーニコルズ内に2号店をオープン。~ 1994年、香水「ブルガリ」を発売。3月には、ゴールドと磁器を使った新しいジュエリー・ライン「チャンドラ」をパリで発表。この発表会のシーンは映画「プレタポルテ」で見ることができる。4月、自動巻ムーブメントのスポーツウォッチとダイバーズウォッチの新しいスポーツライン、 そして初の「グラン・コンプリカシオン」ウォッチ、 「ミニッツリピーター」、「トゥルビヨン」を発表。クアラルンプール、ヒューストン、コスタ・メサ(カリフォルニア州)に出店。~ 1995年、香水「ブルガリ」と「オ・パフメ」のバスラインを発売。イタリア、米国、そして中東で男性のための香水「ブルガリ・プールオム」を発売。新しいジュエリーライン「チェルタウラ」と「カレイドス」、そしてゴールドとダイヤモンドの新しい高級ジュエリーウォッチ「トリカ」を発表。ジェッダ、大阪高島屋、フィレンツェ、ベルリン、クウェート、シドニー、ジャカルタに新店舗オープン。~ 1996年4月、バーゼルにおいてラットラパンテ クロノグラフウオッチである「グランドコンプリカシオン」、「ブルガリ・ブルガリ」の新モデル、「スポーツ」の新ラインを発表。5月、組紐をモチーフとした「トリカ」ジュエリーラインを発表、「オ・パフメ」の香りの濃縮度を高めたバージョン「エクストレーム」の販売を開始。9月、アイウエアの製造及び販売に関し、ルックスオッティカ社と契約。年末には、ブルガリ初のスカーフコレクション、「アクエレッリ」をイタリアと日本において発表。~ 1997年「XLリング」コレクションを発表。4月には時計「ソロテンポ」を発表。初のアイウエアおよびレザーグッズのコレクションをイタリアと米国で発表。また、母と子のためのフレグランス「プチ ママン」の販売を全世界的に開始。ブルガリとフェラガモによる、香水部門のジョイント・ベンチャー契約が成立。初のスキンケア製品「イドラ・テ・ヴィタリザン」を日本にて先行発表。~ 1998年「XLシリーズ」を発表。4月、スイス・バーゼルフェアにおいてアルミニウムとラバーを使用した「アルミニウム」ウォッチを発表。コストパフォーマンスのよさもあり、若者層を中心に全世界的に大ヒットとなる。~ アイウェアコレクションが全世界的に発売開始。1999年キャデラックのフラッグシップとなるロードスターのインテリアを担当。1999年「B.zero1」ジュエリーシリーズのリング発売。2000-2001年秋冬パリオートクチュールコレクションでカルロ・ポンチをサポート。~ 2000年初のレクタングラーでもあるレッタンゴロ(イタリア語でレクタンギュラー「長方形」を意味する)発売。30年代のイタリアデザインにインスパイアされたこのモデルは、ケースはもちろん、文字盤が大胆にしてモダン。デフォルメされた3と9が強烈なインパクトを与える。10月ニューフレグランス「ブルガリ ブルー」発売。12月、世界に先駆け、日本で初のロゴバッグシリーズ「ロゴマニア」のバッグ&スカーフを発売。ロゴを全面に使い、シンプルでありながら力強い存在感を発揮した。~ 2002年春、象徴的な円形デザインと、サイドにブルガリのダブルロゴあしらった「B.zero1」のバッグ発売。新作時計「B Zero 1」発売。2002年10月、銀座店グランドオープン。限定ウォッチなども発売される。2003年春、ジュエリーの新ライン「アレグラ」シリーズ発売。さまざまな色の半貴石や真珠、ダイヤモンドをカラフルにあしらった、「アレグラ」シリーズと、回転するディスクで視覚効果を狙った「オプティカル」ラインを発売。「アレグラ」シリーズはアメジストやペリドット、トパーズや、シトリンなどの半貴石を使い、ピンクの色味の真珠を使うことで虹のように色を閉じ込めたフルラインアップのシリーズ。「オプティカル」ラインは、らせんをモチーフにしたデザインで、実際に回転する仕掛けになっており、ネックレスとリングのそれぞれ2パターン。2004年4月新作ウォッチ「エルゴン(ergon)」発売。~ 2004年、ブルガリは、マリオット・インターナショナルと提携し、2004年にミラノ、2005年にバリにホテルをオープン。バリでは58のバンガローが付属し、部屋には寝室、図書室、2つの浴室、クローゼット、テラス、プールが備えられる。「ブルガリの別荘」と名づけられた部屋には、3つの寝室に加え、使用人の部屋もある。また、ホテルの敷地内には温泉、プライベートビーチに、2件のレストラン、ブルガリのブティックもオープンする。~ 2007年12月には銀座2丁目交差点の一角にブルガリとしては世界最大の店舗を開き、ビル内に日本法人の本社を移転する予定。店名は「ブルガリ銀座タワー」で地上10階、延べ床面積5761平方メートル。中央通りの三共旧本社ビルを建て替え、1棟借りする。レストランやバー、VIPルーム、ブライダルラウンジも併設するなど多角化し、1-3階がブルガリの売り場(総売り場面積952平方メートル)で、屋上は庭園として顧客に開放する。ブルガリグループのフランチェスコ・トラーパニ(Francesco Trapani)最高経営責任者は「世界で最も重要な市場である日本でさらなる成長を目指します。ブリガリは20年以上前に日本に店を開いて以来、日本との強い関係を誇ることができます。2005年には、日本がグループ売上の26パーセントを占めました。日本人のデザイン、クオリティ、イメージに対する目の厳しさは新製品を売り出す際に、日本が常にブルガリのキー・マーケットであり、これが私たちがここに世界で最大の店を開く理由です」と述べた。~ 2010年2月から開始する新「エキセントリック・カリスマ(Eccentric Charisma)」キャンペーンのモデルにジュリアン・ムーアを起用。撮影はMert AlasとMarcus Piggott。キャンペーンフォトはブルガリのSerpentiコレクションからエメラルドのティアドロップ型イアリングと[[ブレスレット]]をつけて、個室でくつろぐジュリアン・ムーアを表現。ブルガリの新Chandraバッグも訴求されている。ジュリアン・ムーアはブルガリのファンとされており、2009年12月に行われたブルガリの創設125周年記念チャリティ・オークションにもゲストとして参加していた。~ 2011年3月、総額約37億ユーロでLVMHに買収される。LVMHは自社株1650万株と交換にブルガリの1億5250万株、50.4%を取得。さらに、約60%のプレミアムをつけた1株12.25ユーロで残りのブルガリ株も購入する。この結果、ブルガリ・ファミリーはLVMHのグループの中で2番目に大きな同族株主となる。LVMHが58%を獲得した時点で、ミラノでのブルガリの上場は廃止される。PaoloとNicola Bulgariはそれぞれブルガリの会長と副会長を引き続き務める。また、ブルガリは2人の代表をLVMHの取締役会に送り込む権利があり、ブルガリのCEO、フランチェスコ・トラッパーニ(Francesco Trapani)はLVMHの執行委員会に加わり、2011年後半にはLVMHの時計・ジュエリー部門を担当。現在の同部門のトップ、Philippe Pascalは執行委員会に残り、グループ内の新しい部門を担当する。~ 「これは、強い収入成長期だからこそ、ブルガリと同様に私たちの家族にとって重要なステップです。LVMHへ参加することでブルガリがその世界的な成長を強化し、注目すべきシナジーを実現するでしょう。 私は、TAGホイヤー、ショーメ、ゼニス、ウブロ、フレッド、デビアスなど有名ブランドが含まれているLVMHの時計および宝石部門の管理が、私に任せられて非常に光栄だと付け加えたい。ブルガリとこれらの商標は高額セグメントにおける世界のリーダーとなるためにさらに投資し、刷新されるでしょう」とトラッパーニ。~ 「私たちはブランドの優越性、創造性、革新への探究に加え、ルーツとアイデンティティへの敬意という同じ文化を共有するとともに、私のグループとブルガリ・ファミリー間の同盟はすべての視点から見て完璧な組み合わせだと思います。LVMHと同様に、ブルガリの同族株主は会社の管理に直接関与します。彼らは製品の生成からアフターサービスまでビジネスのすべての面を知っており、卓越した企業家です。それは私たちが直ちにお互いを理解した理由であり、私たちがともに働くことに賛成した理由です」とベルナール・アルノー。~ ちなみにBVLGARIという表記は古代アルファベットには「J」、「U」、「W」の3文字が無く、中世まで「J」は「Ⅰ」、「U」は「V」と区別されていなかったことから、あえて当時の表記法に従って表示したもの。ただ、サイト名は「bulgari.com」となっている。~ また、「マリナ・B」のデザイナー、マリナ・ブルガリは、ブルガリの創始者であるソティリオ・ブルガリの孫娘。幼い頃からその才能を見出した父親のコンスタンチノ・ブルガリのもとで創造性と技術を磨き、1979年、父の死を機に独立して、「Marina B」を創立した。~ 世界トップクラスのジュエラーですが、近頃の日本ではウォッチとフレグランスのほうが有名かもしれません。「ブルガリ・ブルー」のヒットは記憶に新しいところです。また、フランク・ミューラー人気による腕時計のスクエア、トノー人気も、ブルガリが「B ZERO 1」を発売したことで丸型に回帰するのではないかとも言われています。いまや、ウォッチにおいてもトレンドをリードする[[ブランド]]である。~ **あなたにおすすめ関連記事 [#gd6e1b1b] #htmlinsert(googlecontents.html) ---- 出典: ファッション用語辞典『apparel-fashion wiki(アパレルファッション・ウィキ)』 CENTER:[[SHOP・BRANDページへ戻る>SHOP・BRAND]] [[TOP PAGEへ戻る>TOP PAGE]]
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