Vivienne Westwood・ヴィヴィアンウエストウッド通販

ブランドヒストリー

Vivienne Westwoodとはイギリス人デザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドが手掛けるファッションブランド。ロゴマークは王冠と地球を合わせた「オーブ」を使用している。

ヴィヴィアン・ウエストウッドことヴィヴィアン・イザベル・スウィアは1941年、イングランド中部ダービーシャー生まれ。ウエストミンスター大学卒。絵が得意で画家志望だったが、生計を立てるためにアート専攻の教師の道に進む。「ウエストウッド」という姓は教師をしていたころに結婚した一番初めの夫のもの。以後「ヴィヴィアン・ウエストウッド」と名乗る。

2児の母であったが、「ビートルズ」やミニスカートを着て有名になるモデル「マリー クワント」の影響を受けて大学に再入学(歴史を専攻)、新しい時代の流れに押された形で決意した。大学時代に出会ったのがマルコム・マクラーレン。彼は反体制派でヴィヴィアン ウエストウッドは大きく影響を受ける。

最初は大学時代に出会ったマルコム・マクラーレンのためにテディーボーイスタイルの洋服を作っていた。1971年にはマルコム・マクラーレンとブティック「レット・イット・ロック」をオープンする。1974年には店名を「SEX」に変え、その翌年にはマルコム・マクラーレンが、ショップ「SEX」に出入りしていた若者に、ヴィヴィアン・ウエストウッドのデザインした過激な服を着せて反社会的なロックバンドとしてデビューさせ、伝説のパンクバンド「セックス・ピストルズ」をプロデュースした。76年には店名を「Seditionaries」に変更。以来、パンクムーブメントと共にヴィヴィアン・ウエストウッドの挑発的でアバンギャルドな洋服は世界的な人気となった。

79年には、ブティック「ワールズ・エンド」をスタート。歴史に興味を持ち、70年代後半から、過去のファッションの研究を始め、イギリスのクラッシック、トラディショナルとの融合を追求してゆく。こうしてヴィヴィアン・ウエストウッドは徐々にアンダーグラウンドから表舞台にシフトしていく。

やがてパンクロックの狂騒が終焉を迎えるにつれ、ヴィヴィアン・ウエストウッドの興味もパンクから離れ、1981年の初のキャットウォークコレクション(テーマは「パイレーツ」)以降、英国クラシック・トラディショナルやヒップホップ、19世紀ヨーロッパ・エレガンスなど多彩な要素を取り入れている。1993年からは、コレクションラインを「ヴィヴィアン ウエストウッド ゴールドレーベル」として再スタートした。セカンドラインに「ヴィヴィアン ウエストウッド レッド・レーベル」に分割。1998年春夏シーズンから「アングロ・マニア」をスタート。 96年、メンズウェアライン「ヴィヴィアン ウエストウッド マン」でミラノコレクションに初参加。 98年、ファーストフレグランス「ブドワール(Boudoir)」を発表。 2000年、セカンドフレグランス「リバティン(Libertine)」を発表。

2006年1月、英国人デザイナーとして初めて、エリザベス女王よりDameの称号を与えられる。また、3度目となる「British Designer of the Year」も受賞した。

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出典: ファッション用語辞典『apparel-fashion wiki(アパレルファッション・ウィキ)』

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