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***ブランドヒストリー [#bfdcaf5a] ココ・シャネル(本名ガブリエル・シャネル)は1883年、フランス南西部オーヴェルニュ地方に行商人の娘として生まれ、1910年、パリ・カンボン通り21番地に帽子店をオープンしたのが[[ブランド]]の始まり。当時装飾過多の帽子が多い中、そのシンプルなつくりは多くの注目を集めた。その後、ブティックを開き、男性用の下着に使われていた[[ジャージー]]素材に着目。[[コルセット]]に固まっていた女性の体を開放し、引き締まったからだが基本というメッセージを投げかけた。また、「きらきらした衣装を作るのは簡単でも、リトルブラックドレスを作るのは難しい」と語り、喪服でしかなかった黒を[[モード]]な色として取り入れた。さらに、「本当の大地の色」として、ベージュを好み20年代には[[ジャージー]]の[[スーツ]]に織り込まれ「ベージュの女王」とも呼ばれる。肌の色と[[ベージュ]]をつなげて脚を長くみせ、つま先は傷や汚れを目立たせないよう足元を締める黒で覆った[[バイカラー]][[シューズ]]なども発表。紳士ものである[[ツイード]]素材を女性用[[スーツ]]に仕立てるなど数々の斬新なアイデアを生み出した。~ 1921年、オードゥ・パルファム「NO.5」登場。ナンバリングされた実験ボトルが並ぶ研究室で、彼女が5番目のサンプルを取り上げたとき、これが生まれた。ジャスミンやバラなどの天然成分に加え、初めてアルデヒドなどの合成香料を使用した。調香したのはエルネスト・ポー。70年ココ自身がつけていたのはアンリ・ロベールが調香したNo.19。1924年、人造宝石の[[アクセサリー]]を提案。1932年には[[ダイヤモンド]]を使用したハイジュエリーを発表。20年代から30年代にかけて、活動的になった女性の支持を得て、ココはクチュールの女王となった。しかし、1939年第2次世界大戦が近づくと、ココは自らの店を閉め、クチュール界から引退する。一説には当時、隆盛を極めていたスキャパレリに負けたためとの話もあった。~ しかし、ココ・シャネルはこれでは終わらなかった。戦中から戦後の15年間の中断期間を経て、71歳でクチュール界にカムバックを果たす。ディオールの[[ニュールック]]が、彼女の考える女性の開放とは違っていたため、カムバックを決意したとの説もある。ともあれ、1953年、70歳になったココはかつての助手たちに電報を打った。「今すぐ、来るように。私たちはあと10年しか働けないのだから」。1954年、シャネル復活。20年前と同じような黒の[[テーラードスーツ]]をメーンにしたコレクションはファッションジャーナリストの不評を買ったものの、アメリカ女性に受け入れられた。アメリカでは実用的な服が求められていたのである。1971年、ココ・シャネル、ホテル・リッツの一室で静かに息を引き取る。~ 1969年リーベルマン・ウェルシェリー社により、シャネル製品の日本での輸入・販売を開始。~ 1975年には口紅を発表したものの、ココの死後、やや低迷していた[[ブランド]]を救ったのが、カール・ラガーフェルドである。1938年、ドイツのハンブルグに生まれ、16歳でIWS(国際羊毛事務局、ウールマークを認定しているところ)のコンクール、[[コート]]部門で最優秀賞を受賞。10代でピエール・バルマンで4年働き、その後ジャン・パトゥに移り、21歳でアート・ディレクターに就任。63年に独立以降、自身の[[ブランド]]やフェンディでデザイナーを務めていた。1983年からシャネルの[[オートクチュール]]、84年には[[プレタポルテ]]も担当。ラガーフェルド入社後、シャネルの売上は20%伸びたといわれている。[[ブランド]]のアイデンティティを生かしながら、独自の創造性を加えた。現在では、パリ・カンボン通り31番地で、彼のデッサンをもとに、華麗な作品が熟練した職人たちによって作られている。~ 1980年、日本でシャネル株式会社設立。商品はすべてフランスで製造され、ライセンスは行っていない。1987年には時計もコレクションに加え、香水は84年に「シャネルのエスプリ」のキャッチフレーズで、「ココ」を発売した後、96年に「アリュール」、2000年には「ココ・マドモアゼル」を発売。2002年秋(日本国内は2003年春)には、フレグランス業界最大の話題である「チャンス」を発売する。このフレグランスは、20代、30代前半の若い女性をターゲットに開発され、ボトルもシャネルのフレグランスとしては初めて円形のデザインを採用した。現在シャネルのメイクアップ製品をクリエートするのはドミニク・モンクルトワ。ココに才能を見込まれ、69年入社。80年以後はハイディ・モラヴェッツとのコラボレートで数々の製品を生み出している。ちなみに「メイクに光を」とのココの提案を受け、シャネルは光・ルミエールという言葉を製品名に付ける独占権をもっている。~ 1994年シャネルブティック本店(銀座並木通り)、1996年心斎橋店、2001年表参道店オープン。2002年、シャネル社はフランスの伝統的なクチュールメゾン5社を買収。コスチュームジュエリーの「デリュ」、羽根・カメリアの「ルマリエ」、刺しゅうの「ルサージュ」、靴の「マサロ」、帽子の「ミッシェル」で、これらを集結させてカール・ラガーフェルドは「サテライト・ラブ」と命名。このラインが2003秋から日本でもスタートし、銀座と心斎橋で発売される。~ 2004年12月4日、銀座3丁目に銀座シャネルビル(旧ワーナーブラザース・ストア)に旗艦店をオープン。2003年7月に店舗と本社機能を兼ねた新ビルを着工。ビルのデザインはニューヨークの建築家、ピーター・マリノが手がけ、高さ56メートルの10階建て。外観には発光ダイオード、ステンレススチール、特殊なクリスタルグラスを散りばめ、縦横に光沢を放ち、ブランドを象徴するツイードを模したものとなる。建物は全10フロアで、1-2階がブティック、3階にV.I.P.サロン。4階は各種イベントを開催する多目的ホールで、5-9階がオフィスフロア。10階にアラン・デュカスのレストラン「ベージュ・東京」。地下が駐車場。レストラン「ベージュ・東京」はシャネル日本法人とアラン・デュカス率いるグループ・アラン・デュカス社の合弁会社。ココ・シャネルが愛したベージュ色を基調に洗練された内装に椅子はツイード。スタッフの制服は黒の[[ニット]]に[[スニーカー]](夜はエナメル靴)で、カール・ラガーフェルドが手掛けた。~ オープンを記念して発売されるコレクション「エフェメール・ド・ギンザ」はパールでかたどられたシャネルの「C」のロゴマークが付いた[[ツイード]][[ジャケット]]・[[アンサンブル]]や、同シリーズのパール付きキルティング・バッグなどで、「Chanel Ginza 2004」の文字が記されている。ブティック限定でオリジナルの[[ツイード]][[ジャケット]]や[[アクセサリー]]がデザインされるのは、シャネル創業94年の歴史を通じて今回が初めて。そのほかにも財布や手帳など、「Ginza」のロゴ入りの限定アイテムがラインナップされる。1階奥にはシャネルの香水やコスメ、スキンケアがフルラインでそろうビューティスペース「フレグランス・バー」と「カラー・バー」もあり、3人のビューティ・アナリストが常駐。オープンを記念して、これまでフランスでしか取り扱いのなかった香水「ガーデニア」「ボワ デ ジル」「キュイール ドゥ ルシー」(各75ml)がセットになったコフレ(39,900円)を発売。2005年1月には同じく日本未発売の香水「シャネル No.22」も展開される。シャネルのアイコン、白と黒の[[バイカラー]]・[[ツイード]]をモチーフにした、新色アイシャドウ「ツィード マドモワゼル」(7,350円)も発売。~ 2009年4月24日、青山Aoに世界初のビューティ専門店をオープン。ショップはピーター・マリーノが設計し、ベージュと黒いガラスの23メートルのファザードが特徴。140平方メートルのショップのインテリアはココ・シャネルの好きだった色、白・黒・[[ベージュ]]でコーディネートされ、顧客は白いテーブルや壁にディスプレイされたメイクアップ商品を探すことができる。フレグランスは黒い壁にシャネルの香水の歴史をイメージしたスペースで展示。スキンケアコーナーは特別な曲が流れ、ベージュ・エリアで販売。さらに、限定店のみで展開される「Les Exclusifs」ラインも発売される。~ 2010年5月11日フランス南東部の保養地サントロペ(Saint-Tropez)でクルーズ・コレクションを発表シャネルはこれまでクルーズコレクションを、2004年がセーヌ川を渡る船、2006年がNYのグランド・セントラル駅、2007年はカルフォルニアのサンタモニカ空港、2008年はマイアミ、2009年はヴェニスで発表している。~ 2010年1月、2011年のクルーズから導入されたマドモワゼル・バッグ(Mademoiselle handbags)のアンバサダーにドラマ「ゴシップガール」でSerena van der Woodsen役を演じているBlake Livelyを起用。「シンデレラはガラスの靴が脱げた時、どのように感じたでしょう?白雪姫が王子様に会った時、白雪姫は何を考えたでしょうか?夢が実現したということは控えめな表現です。私は、最も幸福で、最も幸運な少女のように感じます。私はキャンペーンモデルですが、普通の少女のようにそのバッグを使います。私はその美しい『CC』マークを見るたびにそのキルトのケースは口紅やラブレター、夢と可能性でいっぱいのように感じます」とLively。シャネルはまた、ブランドのアンバサダーとしてLeigh Lezark、Jen Brill、Poppy Delevingne、Vanessa Traina、Caroline Sieberを任命した。~ 2011年秋、バッグの新ライン「シャネル・ボーイ・バッグ」を発売。Chanel Boyバッグはココ・シャネル自身が使用していたハンティング・スタイルに基づき、ココの中性的な魅力が特徴。「シャネルは、[[ドレス]]を作るためにメンズ・アンダーウェアを使用しました。彼女は少年のような姿勢を持っていて、それはまさにシャネルの精神でした。彼女は人生でもっとも愛した男性、Boy Capelからそれを得ました。新しいバッグがBoy Chanelとなぜ呼ばれるのか、これで説明できます」とカール・ラガーフェルド。新ラインはつや出しの[[カーフスキン]]で色は赤、グレー、アイボリー。9月からシャネルのブティックでクラッチ、財布、トートなどが展開される。~ **あなたにおすすめ関連記事 [#zab91470] #htmlinsert(googlecontents.html) ---- 出典: ファッション用語辞典『apparel-fashion wiki(アパレルファッション・ウィキ)』 CENTER:[[SHOP・BRANDページへ戻る>SHOP・BRAND]] [[TOP PAGEへ戻る>TOP PAGE]]
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***ブランドヒストリー [#bfdcaf5a] ココ・シャネル(本名ガブリエル・シャネル)は1883年、フランス南西部オーヴェルニュ地方に行商人の娘として生まれ、1910年、パリ・カンボン通り21番地に帽子店をオープンしたのが[[ブランド]]の始まり。当時装飾過多の帽子が多い中、そのシンプルなつくりは多くの注目を集めた。その後、ブティックを開き、男性用の下着に使われていた[[ジャージー]]素材に着目。[[コルセット]]に固まっていた女性の体を開放し、引き締まったからだが基本というメッセージを投げかけた。また、「きらきらした衣装を作るのは簡単でも、リトルブラックドレスを作るのは難しい」と語り、喪服でしかなかった黒を[[モード]]な色として取り入れた。さらに、「本当の大地の色」として、ベージュを好み20年代には[[ジャージー]]の[[スーツ]]に織り込まれ「ベージュの女王」とも呼ばれる。肌の色と[[ベージュ]]をつなげて脚を長くみせ、つま先は傷や汚れを目立たせないよう足元を締める黒で覆った[[バイカラー]][[シューズ]]なども発表。紳士ものである[[ツイード]]素材を女性用[[スーツ]]に仕立てるなど数々の斬新なアイデアを生み出した。~ 1921年、オードゥ・パルファム「NO.5」登場。ナンバリングされた実験ボトルが並ぶ研究室で、彼女が5番目のサンプルを取り上げたとき、これが生まれた。ジャスミンやバラなどの天然成分に加え、初めてアルデヒドなどの合成香料を使用した。調香したのはエルネスト・ポー。70年ココ自身がつけていたのはアンリ・ロベールが調香したNo.19。1924年、人造宝石の[[アクセサリー]]を提案。1932年には[[ダイヤモンド]]を使用したハイジュエリーを発表。20年代から30年代にかけて、活動的になった女性の支持を得て、ココはクチュールの女王となった。しかし、1939年第2次世界大戦が近づくと、ココは自らの店を閉め、クチュール界から引退する。一説には当時、隆盛を極めていたスキャパレリに負けたためとの話もあった。~ しかし、ココ・シャネルはこれでは終わらなかった。戦中から戦後の15年間の中断期間を経て、71歳でクチュール界にカムバックを果たす。ディオールの[[ニュールック]]が、彼女の考える女性の開放とは違っていたため、カムバックを決意したとの説もある。ともあれ、1953年、70歳になったココはかつての助手たちに電報を打った。「今すぐ、来るように。私たちはあと10年しか働けないのだから」。1954年、シャネル復活。20年前と同じような黒の[[テーラードスーツ]]をメーンにしたコレクションはファッションジャーナリストの不評を買ったものの、アメリカ女性に受け入れられた。アメリカでは実用的な服が求められていたのである。1971年、ココ・シャネル、ホテル・リッツの一室で静かに息を引き取る。~ 1969年リーベルマン・ウェルシェリー社により、シャネル製品の日本での輸入・販売を開始。~ 1975年には口紅を発表したものの、ココの死後、やや低迷していた[[ブランド]]を救ったのが、カール・ラガーフェルドである。1938年、ドイツのハンブルグに生まれ、16歳でIWS(国際羊毛事務局、ウールマークを認定しているところ)のコンクール、[[コート]]部門で最優秀賞を受賞。10代でピエール・バルマンで4年働き、その後ジャン・パトゥに移り、21歳でアート・ディレクターに就任。63年に独立以降、自身の[[ブランド]]やフェンディでデザイナーを務めていた。1983年からシャネルの[[オートクチュール]]、84年には[[プレタポルテ]]も担当。ラガーフェルド入社後、シャネルの売上は20%伸びたといわれている。[[ブランド]]のアイデンティティを生かしながら、独自の創造性を加えた。現在では、パリ・カンボン通り31番地で、彼のデッサンをもとに、華麗な作品が熟練した職人たちによって作られている。~ 1980年、日本でシャネル株式会社設立。商品はすべてフランスで製造され、ライセンスは行っていない。1987年には時計もコレクションに加え、香水は84年に「シャネルのエスプリ」のキャッチフレーズで、「ココ」を発売した後、96年に「アリュール」、2000年には「ココ・マドモアゼル」を発売。2002年秋(日本国内は2003年春)には、フレグランス業界最大の話題である「チャンス」を発売する。このフレグランスは、20代、30代前半の若い女性をターゲットに開発され、ボトルもシャネルのフレグランスとしては初めて円形のデザインを採用した。現在シャネルのメイクアップ製品をクリエートするのはドミニク・モンクルトワ。ココに才能を見込まれ、69年入社。80年以後はハイディ・モラヴェッツとのコラボレートで数々の製品を生み出している。ちなみに「メイクに光を」とのココの提案を受け、シャネルは光・ルミエールという言葉を製品名に付ける独占権をもっている。~ 1994年シャネルブティック本店(銀座並木通り)、1996年心斎橋店、2001年表参道店オープン。2002年、シャネル社はフランスの伝統的なクチュールメゾン5社を買収。コスチュームジュエリーの「デリュ」、羽根・カメリアの「ルマリエ」、刺しゅうの「ルサージュ」、靴の「マサロ」、帽子の「ミッシェル」で、これらを集結させてカール・ラガーフェルドは「サテライト・ラブ」と命名。このラインが2003秋から日本でもスタートし、銀座と心斎橋で発売される。~ 2004年12月4日、銀座3丁目に銀座シャネルビル(旧ワーナーブラザース・ストア)に旗艦店をオープン。2003年7月に店舗と本社機能を兼ねた新ビルを着工。ビルのデザインはニューヨークの建築家、ピーター・マリノが手がけ、高さ56メートルの10階建て。外観には発光ダイオード、ステンレススチール、特殊なクリスタルグラスを散りばめ、縦横に光沢を放ち、ブランドを象徴するツイードを模したものとなる。建物は全10フロアで、1-2階がブティック、3階にV.I.P.サロン。4階は各種イベントを開催する多目的ホールで、5-9階がオフィスフロア。10階にアラン・デュカスのレストラン「ベージュ・東京」。地下が駐車場。レストラン「ベージュ・東京」はシャネル日本法人とアラン・デュカス率いるグループ・アラン・デュカス社の合弁会社。ココ・シャネルが愛したベージュ色を基調に洗練された内装に椅子はツイード。スタッフの制服は黒の[[ニット]]に[[スニーカー]](夜はエナメル靴)で、カール・ラガーフェルドが手掛けた。~ オープンを記念して発売されるコレクション「エフェメール・ド・ギンザ」はパールでかたどられたシャネルの「C」のロゴマークが付いた[[ツイード]][[ジャケット]]・[[アンサンブル]]や、同シリーズのパール付きキルティング・バッグなどで、「Chanel Ginza 2004」の文字が記されている。ブティック限定でオリジナルの[[ツイード]][[ジャケット]]や[[アクセサリー]]がデザインされるのは、シャネル創業94年の歴史を通じて今回が初めて。そのほかにも財布や手帳など、「Ginza」のロゴ入りの限定アイテムがラインナップされる。1階奥にはシャネルの香水やコスメ、スキンケアがフルラインでそろうビューティスペース「フレグランス・バー」と「カラー・バー」もあり、3人のビューティ・アナリストが常駐。オープンを記念して、これまでフランスでしか取り扱いのなかった香水「ガーデニア」「ボワ デ ジル」「キュイール ドゥ ルシー」(各75ml)がセットになったコフレ(39,900円)を発売。2005年1月には同じく日本未発売の香水「シャネル No.22」も展開される。シャネルのアイコン、白と黒の[[バイカラー]]・[[ツイード]]をモチーフにした、新色アイシャドウ「ツィード マドモワゼル」(7,350円)も発売。~ 2009年4月24日、青山Aoに世界初のビューティ専門店をオープン。ショップはピーター・マリーノが設計し、ベージュと黒いガラスの23メートルのファザードが特徴。140平方メートルのショップのインテリアはココ・シャネルの好きだった色、白・黒・[[ベージュ]]でコーディネートされ、顧客は白いテーブルや壁にディスプレイされたメイクアップ商品を探すことができる。フレグランスは黒い壁にシャネルの香水の歴史をイメージしたスペースで展示。スキンケアコーナーは特別な曲が流れ、ベージュ・エリアで販売。さらに、限定店のみで展開される「Les Exclusifs」ラインも発売される。~ 2010年5月11日フランス南東部の保養地サントロペ(Saint-Tropez)でクルーズ・コレクションを発表シャネルはこれまでクルーズコレクションを、2004年がセーヌ川を渡る船、2006年がNYのグランド・セントラル駅、2007年はカルフォルニアのサンタモニカ空港、2008年はマイアミ、2009年はヴェニスで発表している。~ 2010年1月、2011年のクルーズから導入されたマドモワゼル・バッグ(Mademoiselle handbags)のアンバサダーにドラマ「ゴシップガール」でSerena van der Woodsen役を演じているBlake Livelyを起用。「シンデレラはガラスの靴が脱げた時、どのように感じたでしょう?白雪姫が王子様に会った時、白雪姫は何を考えたでしょうか?夢が実現したということは控えめな表現です。私は、最も幸福で、最も幸運な少女のように感じます。私はキャンペーンモデルですが、普通の少女のようにそのバッグを使います。私はその美しい『CC』マークを見るたびにそのキルトのケースは口紅やラブレター、夢と可能性でいっぱいのように感じます」とLively。シャネルはまた、ブランドのアンバサダーとしてLeigh Lezark、Jen Brill、Poppy Delevingne、Vanessa Traina、Caroline Sieberを任命した。~ 2011年秋、バッグの新ライン「シャネル・ボーイ・バッグ」を発売。Chanel Boyバッグはココ・シャネル自身が使用していたハンティング・スタイルに基づき、ココの中性的な魅力が特徴。「シャネルは、[[ドレス]]を作るためにメンズ・アンダーウェアを使用しました。彼女は少年のような姿勢を持っていて、それはまさにシャネルの精神でした。彼女は人生でもっとも愛した男性、Boy Capelからそれを得ました。新しいバッグがBoy Chanelとなぜ呼ばれるのか、これで説明できます」とカール・ラガーフェルド。新ラインはつや出しの[[カーフスキン]]で色は赤、グレー、アイボリー。9月からシャネルのブティックでクラッチ、財布、トートなどが展開される。~ **あなたにおすすめ関連記事 [#zab91470] #htmlinsert(googlecontents.html) ---- 出典: ファッション用語辞典『apparel-fashion wiki(アパレルファッション・ウィキ)』 CENTER:[[SHOP・BRANDページへ戻る>SHOP・BRAND]] [[TOP PAGEへ戻る>TOP PAGE]]
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