CARTIER・カルティエ通販

ブランドヒストリー Edit

1847年ルイ・フランソワ・カルティエが、師匠のアドルフ・ピカールから、パリ・モントルゲイユ街31番地のアトリエを譲り受ける。1853年カルティエ、ヌーブ・デ・プティシャン通り5番地で、自らのメゾンを開く。1856年、ナポレオン1世の姪で、皇帝ナポレオン3世の従妹、マチルド皇女が初めてカルティエを訪れ、宝飾品を買い求める。彼女の存在が後にカルティエは王侯貴族に愛されるきっかけとなる。1859年、イタリアン大通り9番地に進出。1860年、最初のロシア人客サルティコフ皇太子が訪れる。1872年、息子アルフレッドを共同経営者とする。1874年、アルフレッド・カルティエ、店の経営権を任される。

1888年、最初のブレスレッド・ジュエリー ウォッチを製作。1898年アルフレッド、長男のルイを事業のパートナーとする。1899年、カルティエ、ラ・ペ通り13番地に移転。1900年、カルティエ銀の代わりにプラチナをセッティングに使用。1902年、ニューバーリントン通り4番地にカルティエ・ロンドンがオープン。1904年、イギリス国王エドワード7世、スペイン王アルフォンス13世の御用達店となる。エドワード7世は「宝石商の王であるがゆえに、王の宝石商」とカルティエを讃えた。この頃、ルイ・カルティエは友人であるブラジル人飛行士アルベルト・サントス・デュモンのために、レザーストラップ腕時計を製作。サントスが誕生するとともに、これが初の腕時計ともいわれる。

1905年、ポルトガル王カルロス1世の御用達店に。1906年ジャック・カルティエ(アルフレッドの3男、ルイの弟)、ロンドン店の経営者となる。抽象的、幾何学デザインの「アールデコ」ジュエリーを試作。初の量産型腕時計、ブレスレッド・ウォッチ「トノー」を製作。

ロシア皇帝ニコライ2世の御用達店に。1908年、シャム国王パラミンドル・マハ・チュラロンコルンの御用達店になる。 1909年、ロンドン店ニューボンド通り175-176に移転。ピエール・カルティエ(アルフレッドの次男、ルイの弟)、ニューヨーク5番街712番地に支店オープン。シャルル・ジャコーが入社。

1908年ルイがパリのオークションで買い上げたブルーダイヤモンド「ホープ」をピエール・カルティエが販売。「C」を組み合わせたロゴマークが誕生する。

1911年、1904年のモデルを原型にした腕時計「サントス・デュモン」を発表。

1912年、パリ市議会、カルティエの「皇帝の卵」を皇帝ニコラス2世に贈呈。これは現在、ニューヨークのメトロポリタン美術館に収蔵されている。最初のバケット(BAGUETTE)カットのダイヤモンド創作。バゲットはフランス語で「棒」の意味で、ダイヤで用いられる段状のカット。長方形の宝石となり、ルイ・フランソワ・カルティエが創出。1920年代、アールデコの幾何学的なデザインを代表するものとなる。「コメット」クロック発売。

1913年、28歳の天才時計師、モーリス・クーエ、初のミステリークロック「モデルA」を発表。水晶の中に文字盤が浮いているように見えるため、この名がある。セルビア王ピエールの御用達店になる。1914年パンテール(豹)モチーフを初めて採用。当時の女性ディレクター、ジャンヌ・トゥーサンのあだ名がパンテールだったことによる(当時、まだ珍しかった毛皮をよく着ていたため)。パヴェ・ダイヤモンドオニキスのパンテールがベゼルを飾る婦人用オーバル・ブレスレット・ウォッチを製作。オルレアン公フィリップの御用達店になる。
1917年ピエール・カルティエが55個と73個の2連真珠ネックレスをモートン・F.プラント邸と交換したことにより、カルティエ・ニューヨーク店は5番街653番地に移転。初めて腕時計「タンク」の図案を描く。これは、1919年に腕時計「タンク」として発表された。第1次世界大戦での戦車のキャタピラーからインスパイアされたもの。

ニューヨークにEuropean Watch&Clock Co.Incを設立。ベルギー国王アルベール1世御用達店になる。
1921年、後のエドワード8世(王位放棄後はウィンザー公)、英皇太子の御用達店に。
「カルティエ フレール」を「カルティエSA」と改称。1923年、門形ミステリークロック「ビリケン」(上部にびりけんが鎮座する。カルティエのサイトで見ることができる)誕生。
1924年スリーカラーのスリーゴールドリングとブレスレッド誕生。1925年アルフレッド・カルティエ死去。

1929年、サンモリッツに支店を開設。エジプト王フーアド1世の御用達店になる。1931年グラモン公爵のために、初めてアカデミー・フランセーズ会員の剣を製作。「ミステリー懐中時計」を発表。1933年ジャンヌ・トゥーサンがカルティエ高級宝飾部門の全権を委任。見えないセッティング(ミステリーセッテイング)の特許権取得。1942年ルイ・カルティエ、ジャック・カルティエ死去。パリ占領を表現したジュエリー「籠の鳥」を創作。2年後、解放を祝うブローチ「自由の鳥」も創作。

1945年ピエール・カルティエがカルティエ・パリとカルティエ・ニューヨークの社長に就任。ジャックの息子のジャン・ジャック・カルティエがカルティエ・ロンドンを経営。1948年ルイの息子、クロード・カルティエが、パリに戻った祖父のピエールからカルティエ・ニューヨークの社長を引き継ぐ。ウィンザー公夫人、パンテール・ブローチをパリで注文する(1987年、ジュネーブのサザビー・オークションで、カルティエ・コレクションのために買い戻される)。1955年ジャン・コクトーのために、彼自身のデザインによるアカデミー・フランセーズ会員の剣を製作。1965年ピエール・カルティエ死去。

1968年カルティエ・ブランド初のオーバル型高級ライター(収納式ローラー)誕生。1969年カルティエ・オークションで69.42カラットのペアシェイプカットダイヤモンドを買い、これをリチャード・バートンに売る。彼は、このダイヤモンドをエリザベス テイラーに贈る。これが有名なカルティエ=バートン=テイラー・トライアングル。アラン・ドミニク・ペラン、「ブリケカルティエ(カルティエ ライター)」社に参加。カルティエ・ジュネーブがオープン。同年、カルティエ・ニューヨークのデザイナー、アルド・チブロのアイデアにより、ラブ・ブレスレット発表。1970年カルティエ・香港がオープン。1971年カルティエ・ミュンヘンがオープン。

1972年ジョゼフ・カヌイを中心とする投資家グループがカルティエ・パリを買取り、ロベール・オックがカルティエ・パリの社長に就任。1973年ロベール・オックがアラン・ドミニク・ペランの協力を得て「レ・マスト・ドゥ カルティエ」コンセプトを考案し、ペランが「レ・マスト・ドゥ・カルティエ」の担当重役となる。ビアリッツとシンガポールに最初の「レ・マスト・ドゥ・カルティエ」ブティックがオープン。1974年先の投資家グループによるカルティエ・ロンドンの買い取り。「レ・マスト・ドゥ・カルティエ」東京店がオープン。1976年「レ・マスト・ドゥ・カルティエ」ラインのヴェルメイユ腕時計のコレクションを発表。オーバルペン(楕円形万年筆)を発表。

1978年スティール&ゴールドの腕時計「サントス」を発表。カルティエ・スカーフ初のコレクションを発表。ジャンヌ・トゥーサン死去。1979年カルティエ・パリ、カルティエ・ロンドン、カルティエ・ニューヨークを「カルティエ・モンド」の下に統合、世界中のカルティエ利権を統合する。ロベール・オック事故死。

ジョゼフ・カヌイ、「カルティエ・モンド」の社長に就任。1981年「カルティエ」と各地の「レ・マスト・ドゥ・カルティエ」合併。アラン・ドミニク・ペラン、「カルティエ」と「カルティエ・インターナショナル」の社長に就任。「マスト」と「サントス」の香水を発表。1982年ミシュリーヌ・カヌイ、宝飾部門の責任者となり、「カルティエの芸術」をテーマとする彼女の最初のニュージュエリーコレクションを発表。1983年エリック・ヌスバウムを責任者として「カルティエ・コレクション」を集成。このコレクションにより、カルティエの歴史的、芸術的発展が一望できる。腕時計「パンテール・ドゥ・カルティエ」を発表。続いてアイウェア「マスト」、「VLC」を発表。1984年ゴールドとパールをテーマとする第2回ニュージュエリーコレクションを発表。「カルティエ現代美術財団」を設立。1985年、1943年の防水腕時計にヒントをえた腕時計「パシャ」を発表。1986年「パンテール」をテーマとする第3回ニュージュエリーコレクションを発表。腕時計「マスト・21・ヴァンテアン」(オール スティール)を発表。万年筆「パシャ・ドゥ・カルティエ」を発表。1987年香水「パンテール・ドゥ・カルティエ」を発表。テーブルウェア(ポーセリン、クリスタル、シルバーウェア)のコレクション「メゾン ドゥ カルティエ」を発表。1988年エジプトをテーマとする第4回ニュージュエリーコレクションを発表。紳士用アクセサリーの「パーソナル・ライン」を発表。カルティエは、「ピアジェ」社、「ボーム&メルシエ」社の最大株主となる。「カルティエ インターナショナル」、パリ8区フランソワ1世通り51番地に本拠を置く。1989年腕時計「タンク・アメリカン」を発表。パリのプティ・パレ美術館で初の本格的回顧展「カルティエの芸術」展開催。

1990年「パンテール・ドゥ・カルテイェ」ハンドバッグを発表。1991年「インドへの道」をテーマとする第5回ニュージュエリーコレクションを発表。ニュージュエリーコレクション「インド ギャラン」を発表。国際高級腕時計委員会(C.I.H.H.)創設。第1回国際高級時計展(S.I.H.H.)開催。腕時計「ディアボロ」を発表。万年筆「パンテール・ドゥ・カルティエ」を発表。カルティエ ジャパン・銀座ブティック、オープン。1992年腕時計のニューコレクション、「ベニュワール」、「カスクドール」、「ベルエポック」を発表。続いて腕時計「ミニ パンテール ドゥ カルティエ」を発表。万年筆「クーガー ドゥ カルティエ」を発表。オードトワレ「パシャ・ドゥ・カルティエ」を発表。1993年10月23日、ヴァンドーム・グループ(現在のリシュモン)設立。カルティエ、ピアジェ、ボーム&メルシエ、ダンヒル、モンブラン、クロエ、カール ラガーフェルド、スルカ、ハケット、シーガーが参加する。クロノリフレックス ムーブメント ウォツチ「パシャ、クーガー・ドゥ・カルティエ、ディアボロ」を発表。「マスト・ウォッチ」と「エリプス」リングを創作。パステル調のクロコダイル「ミニ・パンテール・ドゥ・カルティエ・バッグ」を発表。

1994年ジュエリー「ナチュラ」コレクションを発表。サントス・デュモン・ウォッチの90周年を記念して、プラチナとピンク ゴールドの限定版サントス・デュモンを製作。男性用レザーグッズコレクション「ゴールド・オン・ブラック」を発表。カルティエ現代美術財団がパリ左岸ラスパイユ大通り、ジャン・ヌーベル作の建築物に拠点を置く。1995年ウォッチのニューコレクション、「パシャ」と「パシャC」を発表。万年筆「ルイ・カルティエ」を発表。パルファン「ソー・プリティ・ドゥ・カルティエ」を発表。1996年ウォッチのニューコレクション、「タンク・フランセーズ」を発表。1997年、ブレスレット「アニバーサリー」発表。側面に希望のメッセージを刻み込むことができる。2002年新作時計「ロードスター」発表。リシュモングループの統合に伴い、日本法人も2001年1月1日付けでリシュモンジャパン株式会社となる。資本金は2億5千万円。

2003年7月19日、銀座中央通りに新ブティックオープン。2005年11月26日、カルティエ 南青山ブティックがオープン。国内では32店舗目、ダイヤモンドを連想させる外観は銀座2丁目ブティック(中央通り店)も手がけたブルーノ・モワナーがデザイン。同時に青山との共生を図る「カルティエ青山芸術文化サロン」も発足。宮沢や音楽家の坂本龍一らが参画し、シンポジウム開催やタブロイド誌発行などを手がける。

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出典: ファッション用語辞典『apparel-fashion wiki(アパレルファッション・ウィキ)』

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